コラム&インタビュー

※掲載順

卒業おめでとうございます

更新日:2013/03/05

初めに
卒業おめでとうございます。

皆さんにとって、この卒業はとても意義深いものだと思います。
なぜならば、中学を卒業するということは、住み慣れた島での暮らしからも愛する家族や親しいひと達からも離れ、新天地での生活のスタートの始まりでもあるからです。

生まれ島を離れ、都会(大きな島)での暮らしを想うと、「希望」と「不安」が交錯しているのではないでしょうか。

希望の光は、多くの人がちからを合わせると一段と輝きます。

不安の影は、多くの人が気持ちを添えると消えてなくなります。

どんな時にも、どんな場所にも皆さんを陰ながら応援している存在があることを信じてください。

『十五の春応援カード2013』は、そんな皆さんの一年間に、そっと寄り添う気持ちのカードです。

ひとつひとつは、小さな小さな応援(サービス)かもしれませんが、明るく楽しい新生活の一助になれば幸いです。

『小さな声でがんばれがんばれ』(これは、書籍「ウミンチュの娘」より)の気持ちです。

平成25年3月5日

一般社団法人おきなわ離島応援団
理事長 今井 恒子(石垣島生まれ:ウミンチュの娘)

祈りの島「久高島」

更新日:2012/04/12

久高島にて 久高島にて 久高島にて 

2012年3月23日に「一般社団法人おきなわ離島応援団」設立、翌週の26日に、「ウミンチュの娘」著者でもある今井恒子理事長と、1964年から「波照間島の祭祀」を研究されているアウエハント静子さんと「久高島」に参拝した。筆者にとっては15回目の渡航となったが、その経緯を詳しくご紹介差し上げたい。

 

久高島にて「久高に呼ばれるまで渡ってはならない」・・・
沖縄県内39指定有人離島の中でも、もっとも特異な島の一つが「久高島」と言える。アマミキヨと呼ばれる琉球の祖世神が国造りを始めたと云い伝えられ、琉球王国時代には、時の国王が聞得大君を伴って命がけで礼拝に訪れたこともある。12年に一度の秘祭「イザイホー」(現在は行われていない)でも有名。

1983年春の渡嘉敷島を皮切りに、数々の離島を訪ねた筆者にとっても、祈りの島「久高島」は、遊び気分での「渡航」は許されない「島」の一つであった。
初めて訪れたのは、沖縄初上陸の23年後=2006年秋、米国在住の日本人に「久高島」への案内を求められた際、かなりの「覚悟」を決めて南城市の「安座真港」からのフェリーに乗り込んだ記憶がある。僅か25分(高速船は15分)の船旅であるにも関わらず、沖縄本島が雨天のためか、霧の彼方に船の目的地があると錯覚するほど船旅の時間は、異界への感覚。幸い「久高島」に到着したときには薄日の差す陽気に恵まれ、当時、島に1台のレンタカー(現在は無い)に乗って1時間もかからず島を周遊した。その際の感想は一言で述べると「何もない島」。
なぜこの周囲8キロの小さな島が古の昔から尊い島と呼ばれるのか、全く理解できなかった。

今でこそ「久高島参拝」の案内をすることもあるが、当時は敬虔な気持ちよりも、まず自身で行ってみようという「好奇心」が勝っていたのだと振り返る。

久高島にて2度目の久高島は2009年春、沖縄県庁の公式視察。県職員と共に、「徳仁港」で待ち合わせした男性のガイドに案内された「久高島」は3年前に比べてはるかに理解の深まる旅程であった。ご存じのように沖縄の「拝所(うがんじゅ)」は自然の姿そのものであり、通常の神社仏閣に相当する建屋があるわけではないので、注意しない限りその場所を通り過ぎてしまう。案の定2006年の初渡航では見落とした「拝所」のいくつかを回り(後日聞いたら久高島には35か所の拝所があるとのこと)、アマミキヨや、イシキ浜に流れ着いたとされる「五穀の壺」等の解説に耳を傾けやはり「久高島」にはガイドが必要だと痛感。

3度目の久高島は、2009年秋、ある恩人から、昼前に受信したメールの内容が「久高島」への当日中の案内依頼。友人に紹介された女性のガイドを依頼しようと連絡するも留守番電話。賓客を自身単独で案内するには心もとなく、念のため別の男性ガイドにも打診した。そうこうするうちに留守電のメッセージを聴いた女性から連絡をもらったので、ガイド依頼をするも、すでに男性に声をかけているならば、そちらでどうぞと実にあっけなく辞退。その淡泊な姿勢は印象的であった。

男性による案内は、特に新しい発見もなく無難に終了。さすがに祈りの島「久高島」に一年に2度は通いすぎとも思い当分は沖縄本島から拝むだけと考えるものの、どうしてもガイドを辞退された女性(南城市の公式ガイドで島の神人も兼務)の存在が気になってしかたがない・・・過去3度の渡航は、全て他人の依頼もしくは公式視察であったが、勇気を奮い(それほど久高島は近くて遠い存在)女性に連絡。
例え3カ月先でも構わないと述べた筆者に彼女が提示した日程は幸いにも1週間後。10月15日に単独で訪れた4度目の「久高島」の6時間は記憶に深く刻まれる時間になった。

久高島にて同年12月に沖縄ファンクラブ会長の矢野弾先生を団長とする経済人12名のミッションを受け入れる計画で、事務局に「久高島」訪問を打診したところ快諾の反応。
女性ガイド(70代)の、鳥や花に愉しそうに語りかけながら案内する姿は、はたして経済人に理解していただけるものかとしばし思案し、思いついたのは第三者に意見をもらうこと。20年来の親交で「沖縄の母」とも慕う沖縄のマザーテレサこと「安田未知子先生(当時79歳)」に久高島への同行をお願いすると、驚くことに沖縄中の「拝所」に明るい安田先生も「人生初の久高島」とのことだった。
安田先生と二人で10月29日訪れた5度目の久高島、ガイドも先生のお墨付きを得られた。同年12月のミッション以降も、久高ノロを生んだ家系に生まれた女性=真栄田苗さんにガイドを依頼し好評を得ている。

久高島への渡航は、「個人個人」の時期があるのか、グループで渡ろうとすると、体調やスケジュールに異変が生じて渡航不能になることもしばしばある。筆者はのべ15回渡航したが幸いなことに同行した関係者では大きな異変はない。しかし、上陸後、立ち入り禁止の場所に足を踏み入れ一時的に精神のバランスをくずしてしまった若い旅行者もいるとのこと。
だが、次のようなルール(筆者の場合は、久高島は月の3分の1は祈りの日なのでその日は渡航を遠慮する、ガイドを依頼する、観光ではなく「参拝」と敬虔な態度で臨むなど)に従って訪問する分には、安全な島であるともいえる。

「おきなわ離島応援団」に集われる善男善女の皆さんも機会があれば、沖縄離島めぐりのきっかけにぜひ「久高島」参拝をおすすめしたい。

理事 シャチごん♪白仁昇
 

前リッツ・カールトン日本支社長vs歌舞伎町のジャンヌ・ダルク
【前篇】ダイヤモンド・オンライン

更新日:2011/12/21

高野:三輪さんの著書『日本一のクレーマー地帯で働く日本一の支配人』を読んで、「こんな人に会ったことがない!」というのが、正直な感想ですね。
30年以上ホテル業界に携わってきましたが、三輪さんのように「日本刀に立ち向かった人」を僕は知らない(笑)。
クレーマーと対決し、「この世の終わりだ」と思うような経験もたくさんされていますね。
(中略)
三輪:じつは私、3回死にかけています。なので、「いなせている」と言えるかどうか……(笑)。

高野:……(笑)。三輪さんが死にかけても死なないのは(笑)、「使命」があったからですね。
使命とは、まさに「命」を「使うこと」。三輪さんは「命を使って、おもてなしをしなさい」
という使命を天から授かったのでしょう。
使命をもらっている人は、えてして「心の筋トレ」をやらされるんですよ。

三輪:「心の筋トレ」ですか?・・・(続く)

(全文は↓)
http://diamond.jp/articles/-/15402

「You とMe と、Eat Meat」でOK!
ダイヤモンド・オンライン

更新日:2011/11/18

長野県の戸隠村から単身アメリカに乗り込み、ヒルトン、プラザホテル、創業期のリッツ・カールトンなど、アメリカの超一流ホテルで20年。
一方で、夜はストリートバーに繰り出し、“アブナイ英語”で他流試合を繰り返してきた、前ザ・リッツ・カールトン・ホテル日本支社長の高野登氏。
『リッツ・カールトンとBARで学んだ高野式イングリッシュ』を刊行直後の高野氏を直撃。
いよいよ、文法ハチャメチャでも「本当に使える!体当たり英語」の極意・・・続く

(全文は↓)
http://diamond.jp/articles/-/14815

「チャンスの神様」
琉球新報【南風】

更新日:2009/06/22

 昨年の暮れ、一本の電話がかかってきた。
見慣れない番号に躊躇(ちゅうちょ)しながら受話器を握った。すると、それは“チャンスの神様”からの電話であった。用件をお聞きすると、琉球新報のコラム「南風」に半年間執筆するチャンスを与えてくださるとおっしゃった。
「あっ、予感が的中した!」驚きと興奮で頭の中がごちゃ混ぜになりながら「がんばります!」と即答した。
嘘のような話だが、1年前「南風」コラムを読んでいたら、記事枠がふわりと宙に浮き上がってきた。そのとき、「いつか、南風コラムを書くときがくる」と直感したのだ。
神人(カミンチュ)のようなサーダカイ(霊感が強い)生まれでもないが、ときどき直観力が働き、それが現実となるから不思議である。・・・続く

(全文は↓)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-146187-storytopic-64.html

石垣島のハーリー
琉球新報【南風】

更新日:2009/05/18

  旧暦5月4日は、海のお祭り「ハーリー」が行われる。
わが生まれ島、石垣島も島を挙げての大イベント「海神祭」に向け、海人たちがサバニに乗り込み競漕(きょうそう)練習を始め、応援部隊の漁業婦人部連は太鼓や踊りに励んでいる。
1年に一度、小さな漁港に大勢の見物客が押し寄せ、そのにぎわいに幼い子供たちも「肝(ちむ)どんどん」興奮した。
地元漁師やその家族はお祭りの準備に追われ、隣近所からお酒が届き、かまぼこ、ラフティー、ごぼうまき、食べきれないほどたくさんのごちそうが並んだ。
伝統的なハーリー服を身にまとい舟を漕(こ)ぐ勇壮な海人たち、鳴り響く太鼓の音や、パーランクーに負けじと「ありっ! ありっ!」声を張り上げ…続く

(全文は↓)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-144685-storytopic-13.html

がんばれ!北大東島シンポジウム
マミートマツ ファシリテーション・ラボ 代表 間宮 隆彦さん

更新日:2009/02/07

先週の北大東島シンポジュウムは素晴らしいシンポジュウムでした
大久保さんにご紹介いただき、参加できて本当に良かったです。
ありがとうございました。

それにしても、大変ありがたいシンポジュウムでした。
リッツカールトンの高野さんのご講演もあるし、高野さんの仰る、「ホスピタリティのガラパゴス島 北大東島」ってどんなことだろう?
お名前だけお聞きした白仁さんと方の素晴らしい笑顔にもお会いできるし、もちろん宮城光正村長のお話も聴くことが出来る。
と思っての参加でしたが、感動・感激・関心の連続でした。
ちょうど良い温かさのやわらか空気と、少しの緊張感の感じられる80名ほどの良い雰囲気の会場でした。

プログラムは伝えるべき内容もしっかりと練られていて、にじみ出るホスピタリティがシンポジュウム自体から伝わり、和やかな雰囲気でした。

いつものように前のほうの席で拝聴させていただきました。

大久保ファミリーのバイオリン演奏の映像も映し出されていました。
大東太鼓と共にこころに響きました。
高野さんの姿に優しい兄貴分の少年を感じました。嬉しくて涙をこらえていました。。

マインドマップ風に走り書きしたメモからは、高野さんがお伝えしたかったであろう ”ホスピタリティのガラパゴス島”の意味が今、改めて伝わってきます。

納得しながら高野登の「ホスピタリティ進化論」の概説をもう一度振り返って
います。

高野さんは、北大東島にはホスピタリティを支える七つの力が残っているとお話されました。

①あるがままに受入れ受け止める力
②許す力   現代人になくなっているお互いに人を許す
③耐える力  忍耐力、人や土地に対しての愛着
④創造していく力
⑤皆で分かち合う力
⑥伝える力  伝達力
⑦育てていく力 地域社会が育てていく力

昔は日本のいたるところで、みんなが当たり前に持っていた感性かもしれません。
自分たちがなくしてしまったものが北大東島にあるのかもしれません。

ご講演からは、島の人たちが持つ包容力、心の奥深さ、子供達の澄んだ瞳の透明度と笑顔が自然に眼に浮かびました。

合わせて、先週IBMの金田副会長と話していたときに、金田さんが人の成長のためには「『不便、不自由、不親切』がいい。」と仰っていましたが、

2/7の北大東島シンポジゥムは『不便、不自由』の偉大な価値と豊かさの意味を深く感じさせてくれました。

パネルディスカッションも多士済々でした
中部大学教授の服部敦氏のコーディネーションで
アートディレクター 浅野矩美氏、
南方写真師     垂見健吾氏、
リッツカールトン  高野登氏、
北大東村長     宮城光正氏が、

それぞれの個性あふれる北大東島論や、今後の可能性、村長のビジョンを語っていただきました。

宮城村長の真摯で真面目なお話をお聞きしながら、我がふるさとのことのように皆さんの幸せを願っていました。
-島の自立
-農業の振興  安定した生産体制、農業用水
-漁業     漁港の整備
-観光     南国らしい景観形成
それぞれなるほどなぁと村の経営に思いを馳せました。

あの時感じた、北大東島への最大の思いは
”北大東島の人たちが自給自足”に近づけることだと心から願いました。


厳しい自然を、しょうがなくあるがまま素直に受け入れて、島民同士が助け合い、厳しいが心豊かに、誇り高く生きる北大東島の皆さん、便利でモノが有り余る本土には無い、子供達の澄んだ目の輝き、まさに、日本人の幸せとホスピタリティの原点を自然に示していただいたようでした。

すごいなぁ、魅力的だなぁ、と思いました。

今回、ガンバレ!北大東島シンポジウムに参加させていただき、自分は自然の一部だ、そして、世の中知らないことばかり、でも、島の人たちはなんて素晴らしいのだろう、なんて立派なのだろう、生活そのものが人づくりの場になっている、磨かれていると感じました。
自分は、なんと恵まれた世の中で、ゆったりと生きているのだろうと思いました。
勇気も、元気も、優しさもこのシンポジゥムからいただきました。

シンポジウム後の「名刺交換会&北大東島の『新じゃが』試食会」もフランクでリラックスした真心で包み込まれる会でした。

家に帰って、「マグロの鰹節と新じゃが」を家内に渡し、ひとしきり感動をつたえ、自分がしたいことや出来ることを話しました。
感謝  間宮隆彦

PS
北大東島シンポジュウム参加のお蔭で、間宮は以下の三つを決めました。
①いつか北大東島に行ってみよう
②ふるさと納税を北大東島にしてみよう
③身近な人に北大東島のことを話そう
です。

忙しい地球人がふっと帰りたくなる
豊かな心のふるさと、北大東島を応援いたします。
頑張れ!北大東村\(^_^)/\(^_^)/\(^_^)/
感謝

Best regards,
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『心に描いた夢は 必ず実現する』

組織と人の幸せづくり研究所
主席研究員 間宮 隆彦

マミートマツ ファシリテーション・ラボ
代表  間宮 隆彦

大濱信泉(おおはまのぶもと)先生
琉球新報【南風】

更新日:2006/05/17

 沖縄本島の30代の教師に「大濱信泉先生」を尋ねてみても、ほとんど知られていない。
「人の価値は生まれた場所によって決まるものではない、いかに努力し自分を磨くかによって決まるものである」。
この名言を後世にのこした、故大濱信泉氏は、明治24年に石垣島に生まれた。
小学生時代に、ナポレオンの伝記を読んで、地中海の離島(コルシカ島)に生まれた人物が、フランスの皇帝にまでなった話に、感銘を受けたことは有名。
「自伝」を読むと、幼少のころからの学校や親類の家にあった数少ない本を、繰り返し精読して学んだとある。開学以来の秀才といわれた沖縄県師範学校を、「ラブレター事件」という現在では考えられない出来事で退学になり、・・・続く

(全文は↓)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-13702-storytopic-64.html

「十五の春(その1)」
琉球新報【南風】

更新日:2006/03/01

それはまるで「出征兵士の壮行会」みたいですねと問いかけると、その場に居合わせた学校長・現PTA会長・前PTA会長の3名が口をそろえて「似た光景だと思います」旨の発言をされた。
今年1月8日、西表島での会話である。今月7、8日に行われる県立高校入試、14日の合格発表当日「桜?咲く」家庭では、沖縄本島でも宮古・石垣でも似たような「合格祝い」が開催される。その風景はまた、日本全国同様であり、なごやかで、明るく、希望に満ちた光景である。
ところが、沖縄本島と4つの離島(石垣島・宮古島・久米島・伊良部島)と、それ以外の離島(伊江島・西表島・与那国島・伊是名島・多良間島など26の島々)で開催される「合格祝い」を比べると、参加者の感情移入度が、格段に違うらしい  ・・・つづく

(全文は↓)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-11566-storytopic-64.html
 

宮古島へのエール
琉球新報【南風】

更新日:2006/02/01

 「苦しくなったら戻って来い」を普通の親心とすると、沖縄本島には「苦しくなくても戻っておいで」という親も多いと聞く、その沖縄で「苦しくても戻ってくるな」といって子供を送りだしてきた島のひとつが、宮古島であろう。

 琉球王府時代~明治初期まで及んだ過酷な税制度「人頭税」、耕作面積の少なさから、生きていくために二男・三男が島を離れざるを得ない時代、長男の畑も旱魃(かんばつ)の度に収穫が極端に落ち込むことの繰り返し、そして「台風銀座」と呼ばれ記憶にも記録にも残る大自然の脅威…宮古島を旅して歴史を垣間見ると、人間が生きていくことの困難さと同時に、生き抜くたくましさと、それを体験した人間ならではの優しさを実感する。
厳しい環境で育った作物はおいしいというが、厳しい環境で育つ人間もまた、・・・続く

(全文は↓)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-10717-storytopic-64.html