応援団へのメッセージ

矢野 弾先生

更新日:2012/04/06

矢野 弾先生沖縄の本土復帰40周年を迎える。その年に「一般社団法人おきなわ離島応援団が発足することは大変意義あることです。その発意は高野・白仁両理事と北大東島の縁が気縁です。

100の離島の内有人島は39を数える。その39離島とネットワークを創りたい。
3月24日「ウミンチュの娘」今井恒子さんの出版記念祝賀会が沖縄で開催されたが160名の参集した。

離島応援団長にその今井恒子さんが就任した。
うまず、たゆまず、くじけずのウミンチュ娘の就任はこれくらい適任はいない。
すばらしき沖繩創りに心を燃やそう。

生きることは自己自立と生かされる社会があって構築される。情報大航海時代は離島ネットワークを可能にした。その背景は心と感性と存在感の時代である。生きることが詩であり歌であり風、光り、潮騒が心と感性を磨くに違いない。巧拙はいらない。
「恩納ナビー」が「風の音もとまれ、潮の音もとまれ」と詠んだ沖繩の女性の雄魂こそ今人間に求めるべき心なのです。
これを資源戦争の場にしてはいけない。

平和の礎をアジアの礎に、世界の礎にすることが沖繩の存在感であり日本の使命なのです。

沖縄ファンクラブ会長 矢野 弾

吉田 章先生

更新日:2012/04/05

吉田 章先生小生の場合、専ら渡嘉敷島を大学生の実習地とさせていただいた。
また春休みには、関東地方の小学生と共に一週間のキャンプ生活をするのが常であった。
そんな時に、事前情報として渡嘉敷島の概略を説明するのであるが、「島には、パトカーが一台配備されています。しかし救急車と消防車は一台もありません。」と説明します。
これが、私にとっての離島の定義ということになります。

人の生活は、支え合ってこそ成り立っています。
目に見える所での支え合いは、理解しやすく感謝もしやすい環境にあります。
しかし見えない所、日頃お世話にならない所にも実は支え合いの構図があり、それが社会の安全・安心を生み出す上で大きな働きをしていることに初めて気付きます。

今井理事長のことば「離島に育つ子がたくさんいた方が、日本は豊かになるなるのでは・・」に全く同感です。
中央で求められている「自然体験」や「生活体験」「勤労体験」などを、身近 かな環境で日々接することのできる離島の子ども達は、本当の意味ではむしろ恵まれているのです。
そんな子ども達をもっともっと応援し、日本のリーダーや世界に羽ばたく人と なってもらうために結成されたのがこの離島応援団であると私は理解していま す。

前途洋々 ようそろー
おきなわ離島応援団の発展を期待します。

前 筑波大学大学院 人間総合科学研究科 教授
新潟産業大学 客員教授 吉田 章

山崎 多賀子さん

更新日:2012/04/13

山崎 多賀子沖縄に限らず、離島の暮らしは、自然は魅力的だが、暮らすには不便で厳しい、というイメージをなんとなく持っていた。

ところが北大東島を訪ねるご縁を二度いただき、それは都会に住む者の奢りであると気づかされた。
島人は五百人。山も川もない小さな平たい島の上を、台風は頻繁に通過する。
美しい海に囲まれていても、断崖絶壁で砂浜はない。船も着岸できないほどだから、物流は極端に限られる。それでも、島の人たちは、シャイな笑顔を浮かべて、幸せそう。
とくに子供たちの澄んだ瞳。大人はみんなで島の子供を育て、上級生は当たり前に下級生の世話をやき、健全な秩序が保たれていた。

物質的な豊かさは、得るともっと欲しくなり、満足がないから、疲れてくる。
でも、「足を知る」生活はみんなで協力しあうから、心が富む。心の豊かさはひとつで満たされるものね。
それだから幸せな笑顔なんですね。
なにか大切な日本の原風景というか、生きる力に、最果ての島で出会えた気がした。
もちろん、現実はキレイごとばかりではなく、島の暮らしは多くの厳しさや問題を抱えているのでしょう。だから、大切なものを守るための、応援団結成なんですね。
ちょっと行っただけで、何もしていない私が勝手なことを偉そうに、と自分でも思う。けれど、離島だから残った、大切なものを失ってはいけないと心から思う。
高校進学で島を離れる子供たちの中に育まれてきたものが失われないよう見守ることも、大人の役目。
だから、応援団を応援したいと思います。

美容ジャーナリスト 山崎 多賀子

応援団へのメッセージ